テレビで見ない日はないほどにブレイクした芸人といえば、やす子。
今回は
芸人やす子の生い立ち!本名や宇部市の実家と自衛隊の経歴を調査!
と題して、やす子の生きてきた軌跡をおいかけてみます。
実家とされる山口県宇部市の情報や、かつて所属していた自衛隊での経歴なども紹介していきます!
この記事を見れば、芸人でブレイクするまでのやす子の壮絶な生い立ちを知ることができます。
少し特殊なやす子の壮絶な生い立ちを最後までご覧ください。
この記事に書かれている内容
芸人やす子の生い立ち
フジテレビで放送中の突然ですが占ってもいいですかに出演(2023年1月30日放送)など、これまで数々の番組で壮絶な生い立ちを語っています。
やす子自身、自分の人生顧みるとき「人生をやめちゃおうか」と考えてしまうほどに辛かった過去を振り返っていました。
自らやめてしまいたいと思えるほど壮絶な生い立ちとは、はたしてどのようなものだったのでしょうか。
とっても明るく元気なやす子が自衛隊出身で、清掃員の仕事を経て大ブレークの芸人街道を歩むまでの道のりを紹介します。
芸人やす子の幼少期と小学生時代
やす子は1998年9月2日生まれで山口県宇部市出身ということがわかっています。
2歳の頃に両親が離婚、それからは母親がシングルマザーとしてやす子を育てたそうです。
やす子は母子家庭育ちということのようです。
山口県宇部市出身ということで、通っていた小学校はいくつかに限られるのですがそこは公表されいません。
当時のやす子一家の経済事情は少々厳しかったようで、学校ではいかに“給食でお腹をいっぱいにしておけるか”ということをいつも考えていたそうです。
おやつも無かったようで、率先して給食当番をつとめ余ったパンを持ち帰っておやつ代わりにしていたというエピソードも語られています。
小学校時代の卒業アルバムの個人写真が公開されていますが、かわいらしい愛嬌のある笑顔が現在の面影を映し出していますね。
芸人やす子の中学校時代
やす子の中学生期は山口県の宇部市立西岐波中学校に通って水泳部に所属していたということがわかっています。
14~15歳(中学時代)に生死をさまようほどの交通事故に遭ったそうで、この頃から家庭環境がもっと悪化したと語っています。
この頃になると困窮度合いもひっ迫し、友達の家の水道を借りて服を洗っていたそうです。
思春期の年頃にこんなことを友達にお願いすることもすごく勇気がいることだと思いますし、やす子の気持ちを考えると、とても切なくて胸が痛みます。
そして、中学3年生の時に母親に内緒で児童養護施設に自分で入所を希望し通っていたそうです。
中学3年生といえば15~16歳のあどけない年齢。
そんな少女が自らの意志で児童養護施設に行くというのは、よっぽど壮絶な生活だったのではないでしょうか。
芸人やす子の高校と大学生活
児童養護施設に通いながら宇部市立西岐波中学校を卒業したやす子は、山口県立宇部中央高校に進学します。
中学生の頃は通っていただけの児童養護施設でしたが、高校時代になると自宅には帰らずにほぼ施設で過ごすという生活でした。
一般的には施設での生活は不自由があったのではないかと思いますが、やす子は施設での生活を振り返り「初めて自分の居場所ができた」と語っていました。
これは自分の家には居場所がなかったとい裏返しなのですが、とても切ないですね。
この施設入所していることを、担任教師がうっかりしゃべってしまい、そこからだんだんと周りの態度がかわりはじめ、誰にも相手にされなくなったそうです。
毎日図書室に籠ったり、トイレでご飯を食べるなど一人ぼっちだったやす子。
聞くに堪えないエピソードですが、わたしが感心したのはこんな苦境のなかでも毎日逃げずに学校に通い続けるというやす子の根性。
この一件だけでもやす子を応援したくなりますよね!
高校でも水泳部に所属していたやす子、水着を買い替える余裕もなく3年間同じ水着で過ごしたとのこと。
部活なんて毎日あるので大変な苦労だったのではないかと思います。
修学旅行の積み立てもできてなかったため、先生が出してくれたそうです。
素晴らしい先生ですね。
きっと現在はきちんと返していると思いますが、当時のやす子の状況からすると帰ってくるなどとは思いにくいと感じますが、心ある先生がいたのですね。
一生の恩師だとおもいます。
芸人やす子の本名や宇部市の実家と自衛隊の経歴を調査
ブレイク芸人やす子の本名は安井かのん。
山口県宇部市出身で1998年生まれです。
ここからは実家の情報や、やす子の家族、自衛隊でのエピソードなど経歴を紹介します。
芸人やす子の実家
上述していますが、やす子の実家は山口県宇部市内にあるようです。
壮絶な家庭環境だったことを考えると借家住まいだたのかもしれません。
家電などをそろえることもできなく、テレビもない生活だったと回想していました。
芸人やす子の母親
やす子の母親の氏名や職業など公表しているものはなく、私たちが知ることはできません。
やす子自身、16歳から芸人としてブレイクする22歳までの6年間はまったく会うことは無かったと語っています。
自身が運営するYouTubeのちゃんねるでは生配信(2021年7月18日)で、幼い頃は母親からきつく当たられていたと話していました。
芸人やす子の父親
日本テレビの人気番組『しゃべくり007』(2023年2月20日放送)にゲスト出演したやす子は、20年間音信不通だった父親と前年の2022年に再会したエピソードを語っていました。
テレビで活躍し始めたやす子を見た父親がやす子のSNSにメッセージを送ってきたそうです。
やす子本人も、自分の生まれた日や時間、個人情報を知っている人からのメッセージで不振に思っていたところ、この男性が実の父親だったそうです。
実の父親と『再開』できたことには、芸人になって売れて良かったと話すやす子ですが、自身の気持ちの整理については複雑だった様子でした。
20年間も音信不通で、この世には居ないかもとさえ思っていた人から突然連絡がきて再開しても、すぐには変えられませんよね。
芸人やす子には父親が二人
2歳の時に出て行ってしまった父親のほかにもう一人やす子には父親がいるそうです。
のちに母親が再婚した相手だそうですが、やす子はこの再婚の父からも暴力を振るわれていたそうです。
家からも「出ていけ」と追い出されてしまうこともあったそうで、駆け込むことになった児童養護施設を自分の居場所と語ったやす子の壮絶な背景がうかがえますね。
芸人やす子はCMで父と共演?
やす子は2023年のキンチョウ『コンバット』のCMに大抜擢!
このコンバットのCMに出てくる父親役の男性が、やす子の父親ではないか?と話題になりましたが、これは事実ではありません。
この男性は、太田導夢(おおたどうむ)という役者さんです。
なんとなく雰囲気も顔もやす子と似ているためどこからかこんな話がでたのでしょう。
芸人やす子の兄弟
やす子は自身のTwitterで妹の存在を明かし、「現在はすごく仲良し」と微笑ましい投稿がありました。
幼少の頃も、パンの耳を素揚げして砂糖をかけて妹と分け合ったというエピソードもあり、そのとき妹は「おいしい」といって喜んでいたと回想していました。
Twitterではそんな妹はもちろん、数年間疎遠だった母親とも現在では連絡が取れる間柄になり、以前のような疎遠な関係ではないと投稿していましたね。
芸人やす子自衛隊エピソード
パッと見てもわかりますが、やす子自身は自衛隊キャラとして出てきたので、みなさんご存じですがやす子は元自衛官。
というエピソードを独特のユーモアを交え語っていました。
芸人やす子の自衛隊入隊理由
そもそもやす子の自衛隊入隊の理由は、高校卒業後に衣食住をすべて叶えるのが自衛隊か、パチンコ屋の店員しか見つからなかったとか。
パチンコ店の面接がうまくいかなかったので消去法で自衛隊に入隊したそうです。
芸人やす子の自衛隊脱退理由
自衛隊に入隊したやす子は退職金がもらえるまでは辞めない覚悟で入隊したそうですが、入隊して1年半ほど経ったある日ふいに“天のお告げ”が降ってきて辞めようと決心したそうです。
というのも、ある日自分の目の前を上官が通過した際に突然天の声が聞こえ、そのまま上官を追いかけて行って辞める旨を伝えたそうです。
何とも壮絶ですね。
芸人やす子の生い立ちまとめ
いかがでしたか?
芸人やす子はその明るく元気なキャラから想像できない、壮絶な経歴の持ち主だったことがわかっていただけたと思います。
自衛隊上がりなのは芸風からわかりますが、宇部市の実家のエピソードや生い立ちは胸が痛む思いですよね。
宇部市の実家時代の苦痛や、自衛隊時代の苦しい生い立ちがやす子を強くし、逆境にもひたむきに耐えた先の成功なのでしょう。
壮絶な経歴を持つやす子、逆境を耐え抜いたやす子はこれからもどんどん成功していくのでしょう。
このエピソードを知って。やす子を応援したい気持ちになりました。
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